活動報告1

2011年4月6日 未曽有の大震災・壊滅の中の生死

昨晩も震度6の地震があり、3月11日から毎日の余震はやはり不安で一杯です。
皆様の気持、思いやりを被災者の方々へ心を物資に変えて生活支援として使いたいと思います。
感謝 合掌

私は4月1日から6日まで岩手の釜石、大槌の現地に入りました。言葉が出ずただ茫然と立ち尽くし手を合わせるしかできませんでした。この現実を受け入れるのには大変な心の葛藤とエネルギーが必要だと思います。テレビの映像を見ていると自然への畏怖と凄さがあり、自然が母なる大地を信じてきたギャップの大きさを感じます。
一瞬にして町や村が壊滅し、今はただ津波で押し流された残骸があります。まだこの瓦礫の下にまだ2万人とも言われる不明者が埋まっているとの報告です。
また死者も岩手では4000人になり、被災者の遺族が裸にされ家も家族も全て失い深い悲しみの時を過ごしています。
私は供養ボランティアとして遺体安置所、骨堂、出棺の時などにお勤めをさせてもらい
現地を飛びまわっています。また避難所には足湯、傾聴ボランティアとして入っています。
避難所の人たちとのふれあい、悩み、愚痴などを聞いています。
刻々とニーズも変化し、臨機応変に、柔軟に、流動的に対応することはとても難しいですがそれでも現実にこの場を生き抜いている事実があります。
生活物資の調達、配達、こころの相談(聞)が主ですが毎日片道2時間の渋滞は厳しいです。
生活への改善、期限切れの移動、医療経済面等大混乱です。今言える事は衣食住の次は  「こころのケア」だと思っています。存在感、居場所、肯定感、必要とされている役割があることの大切さを感じると共に人としての尊厳や生きる意味に対して被災した方々から多くのつぶやきを聞いている現状です。
しかし、本音と建前で東北人らしくじっと寡黙で我慢しているのが正直な所だと思います。

今被災地には自衛隊、日本中の専門分野の方々、世界中のボランティア団体が復興へむけて援助の手を差し伸べています。本来の人の生きていく原点がここにあります。
この過酷な現状の中でもやさしさや笑顔が見え支え合い思いやる気持ちが満ちています。
本山では御縁忌を「被災者のつどい」とし、私は3月28日、29日にお参りしました。
門首、総長の挨拶、災害支援の活動報告がありその中の法話に「無慚無愧のこの身にて」の和讃を引き門徒としてどこに立ち支援するのかの課題のメッセージでした。
 親鸞聖人は「十方衆生とは・・・われらなり」又「生死無常のことわり・・・驚きおぼしめすべからずそうろう」と。人の世は移りやすく、人の命は有限でありつつも愛着、執着の絆で結ばれて生きようとしているのが私たちのようです。
 永遠に保障されるものは何もない、つまり縁次第だと言う事をこの一大事の震災が私たちに人生の教訓を知らせています。生きるとは変化の連続、有為転変、予測不能であり近代成長信仰は3月11日に砕かれたと思います。
 つまり私は今被災に会われた方々と同座し、思いやりと支え合いを共有共感し対話し続ける事が明日への一歩になると思います。
長くなりましたが、次回はこの続きの現地レポートを発信したいと思います。  

追伸 もし可能であれば至急、文房具や学習教材、絵本などの支援物資をお願いします。

活動報告2

2011年4月16日 あなたはひとりではない

3月11日の大震災から1カ月を迎えました。千年に一度とも言われる大津波は甚大な被害をもたらし、震災の爪跡はあまりに深く、町は壊滅状態となっています。
大きな悲しみと複雑な気持ちを抱えながらも皆様の支援のおかげで緩やかに動き始めています。

「ガンバレ日本」「つながろう日本」「手をつなごう」などのスローガンのもとに行われる支援や、何か手伝いたい、何が出来るだろうかという思いがボランティアになっています。
過酷な避難所にも日常生活が始まり「ほほえみ」も見られるようになりました。「ほほえみは生きる力」です。
岩手の生んだ偉大な詩人宮沢賢治のメッセージ
「雨ニモマケズ 風ニモマケズ・・・・イツモシズカニワラッテル」
この詩は冷静に現実を引き受けまかせきった心の心境なのでしょう。
今こそ日本人のこころに「させていただく」の灯がともり、大切なことに気が付きあっていきたいと思っています。今後とも心を寄せてください、ありがとうございます。
You are not alone ( あなたは ひとりではない )
現地のつぶやき
☆津波はてんでんこ(自分で助かる)
☆有難い、うれしい、感謝、手を合わせる事が多い
☆知らない人同士でも避難所では大家族
☆本音や愚痴、我儘を言うと居場所がない
☆津波のトラウマ、うなされ、ねむれない
☆3日間も濡れた服を着たままだった
☆逃げても地獄、生きても地獄
☆若者が死に、役に立たない年寄りが生きて申し訳ない
☆祖母が逃げる時孫の手を離してしまい孫を殺した
☆部活がしたい、母校のジャージを拾って洗っている
☆夢であってほしい、主人と娘、孫を毎日探し歩いている
☆仕事を解雇され将来不安、会社、世の中への怒り

サンガ岩手 代表 吉田 律子

活動報告3

2011年4月25日 残されたいのちを拾った

この度の震災の支援物資をお送り頂き有り難うございました。こちらは未だ余震が収まらず、まさに地震良いの日々で、眠れない夜が、ますます不安に追い打ちをかけているようです。
自然とはなんと無常なものでしょうか。再び巡ってきた桜の季節に深く吐息をしながらそう思わずにはおれません。ひとたび、徹底的に生の基盤をなめつくしておきながら、今度は何事もなかったかのように、海は凪、花は咲き、木々は芽吹く。激しく無慈悲な恐ろしさと、寛大で温かな慈悲深さの両面が自然の姿でした。多くの命が失われました。まだ一万人以上の不明者がおられます。亡くなられた方々からの声なき声のメッセージを受け取りながら、「残されたいのちを拾った」「助かった」人たちと、生かされていることへの感謝と意味を共に確かめながらの毎日です。
私も一緒に避難所に泊まり避難生活の実体験をしています。人が歩く足元に枕を並べ、プライベートなし、布団一枚分のスペースが自分の居場所です。そんな想像を絶する中での寒さと、ざわめきの中、夜を過ごすことの大変さ!! 痛みは分かってもらえないが寝食を共にすることから本当の「つながり」「信頼」が生まれ、人と人が出会うこともあります。
精神的、物質的な面も人の数だけニーズがあるので、この多様さについて行くのが大変です。しかし、こんな時だからこそ、必要なものを、必要な人に心をこめて用意することが「その人の生きる力」になると信じています。次から次と問題が沸きあがってきます。仮設の件、義援金、健康面、就職、子供の教育・・・。しかし、今まず、始業式・入学式が始まりほっとしています。子供には学校生活への環境作りが今一番求められています。
すべてがゼロから、いやマイナスからのスタート!! それでも生きていかなければならない事実があります。物作りも大切ですが、人を育てることがあらためて大切だと思っています。そこに絆が深まれば心は育っていくと思います。私はみんなの中に寄り添い、心を聞いていくしかありません。


活動報告4

2011年5月12日 避難所生活でいのちに出遭う

「母の日」の8日、私は三陸の大槌町と釜石に向かっていました。
津波で流されたガレキの跡に、ぽつり、ぽつりと赤や黄色が見える。それはペットボトルに挿してあるカーネーションと水仙の花でした。雨上がりの陽光の下、散乱する無機質のガレキに囲まれた、可憐に咲く赤とピンクの花。愛する母への思いはいつまでも変わることがないでしょう。お母さんありがとう・・・・・。
 母への思いは誰でも永遠なのです。母の日の墓前はカーネーションが多かった。

 多くの方々がボランティア活動で頑張ってくれています。体調管理がひと苦労です。避難所での生活は2ケ月もたち極限状態で、持病の悪化の中、津波で助かったがその後の生活で524名死亡しているのが現実です。今後の生活に不安をもっている人は94%もいます。行政も民間も見通しを立てるのが難しいとのことですが、その前に人は生きているのです。生きていかなければならないのです。
 立ち止まる事はできません。未来を信じて歩み始めてはいます。絶望のどん底からはい上がろうとする被災者の気力と勇気、そのたくましさに光を見せられ共に生き抜きたいと思っています。
 仮設の準備も進み始め8月の盆前に入居の予定です。しかし、避難所に耐えられず、半壊住宅、在宅生活へとライフラインなどが不便でも移り住む方が多くなってきました。
今のままで3~4カ月まで待つ生活は無理なのでしょう。
 つまり、五月に入ってからは在宅生活者支援が多くなっています。食材など、食事も自己負担になるので自由は手に入るけど生活がしていけない等、深刻な問題が山積みです。
 今の支援は、食材確保と精神的サポ-トです。仮設や在宅の場合は孤独になりがちなので、きめこまやかに励まし合うことが心の健康につながると思っています。
 自己の限界を感じるたびに、わたしは偽善者だと落ち込む事があります。「聖道の慈悲と浄土の慈悲・・・・すえ通らない・・」だからこそ、ただ念仏のみ。
 被災地の方々は、私のこころの闇を照らすほとけさまでした。その方々との「いのちに出遭う」出会いが私に生きる意味を教えて下さるようになってきています。
私の親鸞聖人の750回忌の御遠忌はここ被災地です。
そして、子供たちの笑顔は明日への被災地でのかけがえのない希望です。
 今後とも、尊いご縁をよろしくお願い申し上げます。

               平成23年5月12日  吉田 律子 合掌

活動報告5

2011年5月27日 みんな尊い命を生きている

皆様のご支援の輪が広がり、現地の人々のニ―ズの変化に対応していただき大変感謝しておられました。昨夜、遅く帰ってきました。
 2ヶ月以上にわたる避難所生活がどんなに辛いものか、それは体験者以外の人にはわからないとしても、被災の身を互いにいたわりあい、工夫しあって少しでも住環境を快適にしようと努力している様子を垣間見ると心打たれる思いがします。ゆるやかに全てが動き始めています。
1. 介護施設の件ですが、行政、福祉関係者が頑張っています。しかし、仮施設(空き家・借家)なので十分ではありません。民間在宅者に対しての対応はまちまちです。ヘルパ―、介護士が入っていますが、ねまき、その他の備品は自分でということです。「おしめ」なども罹災証明書を提出して手続きをし、高齢者に物資を取りに来い、とは無理な話です。
 行政機関と民間企業の狭間でこぼれ、見逃されている方々へのサポ―トしか出来ず・・・小さいことをさせていただいております。
2. いま、ツツジやぼたんが咲きました。被災の方々は春に桜の花見ができなかったので、秋桜(コスモス)とひまわりを植えて、秋に一緒に楽しもうと、あちこちに種を蒔いて歩いています。
3. 子ども絵画展― 仮題「心のブリズム」のプロジェクト予定
     子どもたちに不眠・不安・パニック(PTSD)が出始めています。
     今の心を絵・詩・作文・ものづくり・さけびの声・語録・スローガン・
     ・紙芝居・子供の目で見た写真・声の録音・・・・。
             等を表現してもらい、作品展しましょうプロジェクト。精神的、肉体的
障害のある子も含め、制作の準備中・・・。その時は、各地で作品展を 
巡回したいと考えています。
4. 子どもレストラン炊き出しプロジェクト
     避難所の子どもたちが、自主的にレストランを取り仕切り、一緒にランチ。
主役は現地に住み続ける、ふるさとを愛する人々の生活自立です。
プロジェクトが進むようにと悩んでいます。アドバイス下さい。
  「無有代者」―親子の間でも代わって生きられない。これが現地での実感です。 
生きている、生きている みんな尊い命を生きている!!
災害で亡くなってしまった人達の分も乗り越えて生きることで、より一層輝き躍動することを願っています。遠くから心をよせて見守り続けてくださいます様お願い申し上げます。  
  合掌     吉田 律子

活動報告6

2011年5月22日 集団生活とプライベート

支援物資とお手紙ありがとうございました。
今回は協力者2名も同行して釜石在宅生活者、地元のひとの悩みと声、街の復興へのアイディアとプロジェクトの相談でした。人と人の心がつながれば、必ず心の奥にしまっている一番悲しく、つらく、傷ついた心が開かれることを今回も体験しました。
 在宅支援の責任係の奥様が流されてしまい、まだ不明だと・・・6回の面談で話してくれました。少しずつ笑顔が見え、冗談話も出ます。又、大槌高校避難所(240名)では、ここ一週間訪問できないでいるうちに、大きな問題が起き自治会がストップしていました。5ケ所まわりましたが、それぞれの生きづらさの中で、心の問題とは別に「腹がへる」「無気力」「本能的」なところに翻弄されている部分もあります。
 新緑の風景を十分味わって帰ってきましたら、たくさんの支援物資の心が届いていたので、ますます「がんばるぞう」のファイトが湧き上がり、うれしくなりました。
 実は60才過ぎていますので体はくたくた。皆様の心がこれほどつながり、気になり何かお手伝い出来ないか、何か役に立たないかと心を動かしてくださったことはわたしにとってとても大切な事実でした。 
 私たちの生活をもう一度見直し、やり直すチャンスをもらったと思います。一人一人、この震災は自分に何を教え、何を伝え、何を感じ、何に気づくのか、そしてどこに立ち、具体的にどう動くのかが問われている心の試練かも知れません。無縁社会といわれていますが、私たちは縁の中で生きているわけですから、大きな有縁社会の只中にいます。親鸞聖人はこの事実をどのように見ているのでしょうか。「生死無常のことわり・・・
おどろきおぼしめすべからずそうろう」(聖典603)このガレキを見て本当に無常観を体得しました。そして、人の作ったものは全て壊れていくものだ。大地に根をはったものしか残らない。つまり、大自然の中の一部の私達なのに、人間の知恵や科学で便利さを作ってゆくが、全ては無常であることをこの目に見せてくれました。
 「生死無常のことわり」に立つからこそ、この与えられた生死する命の意味を様々な現実の問題として聞き取っていくことが大切に思います。

 「病む身をば病むに任せて現前のいのちの問いにいきなんとする」(和田 稠)

 ちょっと余計なことを書いてしまい申し訳ありません。震災から2ケ月が過ぎた今も、被災地では津波で被害を受けた自宅に住み続ける住民が後をたちません。持病があったり、避難所生活の限界や封鎖されたり、2~3回移動されたりと、理由は種々ですが、余震による倒壊の恐れもある上、水や電気がない不便な生活を送っているケースがふえています。
 多くの人が浸水した一階を避け、二階暮らしを余儀なくされています。自治体も実態を把握していないのが現状で、梅雨の時期を控え、衛生状態が悪化する恐れが強いと思っています。人が生きていくことは変化していくことなのですね。
 「世の中安穏なれ、仏法ひろまれ」(聖典569)念仏者としての自覚ある生活とは、そして、どこに立ち念仏していくかが今の私の身に問われています。 
 私はガレキの中で線香をたき、聖典を大声で読んでいます。これが私の御恩報謝です。
 祈り大地に満つ。 
  ありがとうございました。   南無阿弥陀仏   
               平成23年5月22日  吉田 律子

活動報告7

2011年6月5日 これからどうなるべー

6月に入りました。「これからどうなるべー・・・?」と聞かれる。「これ以上おちるところがないから良くなるだけ・・・大丈夫・・」と答える。「人間万事塞翁が馬」とか「禍福はあざなえる縄のごとし」とか、古人が経験して残した言葉です。人生は不確実で転変するからでしょう。
 避難所の老人が「天災は運否天賦」だと教えてくれました。世間でいう他力本願、運任せの消極的な生き方と誤解されるでしょうが、その運を引き寄せる力はひとにあると思います。
確かに被災は最悪であるが、地獄の底を見たと思えば、後は這い上がるだけだ。今はそう考えるしかない。石川啄木の歌ではないが、やはりふるさとはありがたいもの。
 地区外避難所、又は仮設住宅地についても、衣食住が足りても、心はかっての故郷、生活空間、海の仕事を考えてしまう。
片づけても、片づけても、一向になくならないガレキの山を見続けて生きる苦痛は計り知れないが、やはり現実と向かいあい、仲間と一緒になって復興していく、それこそが喜びにつながるのだと思う。
 6月4日に、釜石の孤立した住宅への物資配達の中での会話にも「誰が悪いわけでもないもの・・・」とつぶやき、責めることも恨むことも、嘆くこともなく、これは天災だと受けとめている姿に感動しました。
 子供を持つグループ、主婦グループ等、今は必要なものを聞き取り対応している。生活場も複雑化しているので、ニーズの数が多く大変だ。
 野菜、豆腐、たまご、ヨーグルト等が現地で手に入りましたので調達しています。又、仮設住宅は自立前提ですので、そのために準備として、皆様、特に物資を欲しがります。
 6月5日(日)は、釜石復興食堂のイベントに参加した。被災者とのつどいは、歌、ケーム、炊き出し、バザー等で、楽しんでもらえた。
 大槌の集会所を巡ったが、どこでも「はやく仮設に入りたい」の声だった。
                        平成23年6月5日
                        合掌  吉田 律子

活動報告8

2011年6月11日 大槌 炊き出し

東日本大震災から三カ月、まだ多くの被災者が避難所生活を余儀なくされ、家族や生活を奪われた心の傷も癒えていない。
 毎朝「黙とう」をし、犠牲者の冥福を祈っている。これは三月中旬頃から自然の日課になった。「亡くなった人の、元気だった頃を思い出したりする」「大変だけど前を向きたい」と。
 6月11日は朝から雨。大槌の安渡寺、避難所40人の所へ炊き出しに仲間の真淵・田中・天沼・佐藤さんの五人で出発。盛岡名物ひっつみ(すいとん)を一緒に会食したいとのこと。寺は葬儀会場であり、この地区の宗派を問わず、住民が人生の大切な場所にしている所でした。
 寺のうしろは墓、目の前はガレキと海。大歓迎され、張り切って作った。普段、敷きっぱなしの布団をたたみ、その場所に食台のかわりに新聞紙を敷き、全員で炊き出しをして、ひっつみを食べました。
 「おいしい」とお代わりされ、皆さんの笑顔が疲れを飛ばした。避難所生活は限界。食生活も偏っているため、風邪をひいている方が多かった。あたたかいものに心をこめて作ってくれたと感謝され嬉しかった。その後、あれこれおしゃべりし、次回の約束をして帰った。
 約一時間、大槌から北上し、山田・宮古を通り、2時46分宮古の浄土ケ浜で黙とう!!
ヤマセのため濃霧で海は見えなかったが、足もとで波がザワザワと岩にぶつかり、荒れていたようだった。
 今日6月11日で発生から3ケ月。大津波の残酷な痕跡は深く、諸問題が山積み!!
復興の道筋、地域の暮らしはまだ遠い道のり。しかし、明日への一歩を共に歩きたいと思っています。
 物資の支援はグループ、在宅者、仮設住宅、入居者の方々へ届けております。
 心から感謝申し上げます。ありがとうございました。
                    合掌 平成23年6月11日
                         吉田 律子

活動報告9

2011年6月15日 ものは考えようだ

津波を受けて、ほとんどの木々が流失した大槌で、ユリ科のニッコウキスゲが見ごろを迎えている。がれきが残る砂浜に映えるオレンジ色の花。
 雲間から注ぐ陽光を受けて輝きを増し、街や村の復興を静かに見守っているようです。土に根を張っているものはいのちをつなぎ、津波に負けない、たくましさで浜を彩っている。
 また、がれきの中のあちこちに、赤い旗が潮風に舞っているのは家屋解体OKの印で、無彩色の残骸に強烈に写る。コッコウキスゲ黄は、幸福の旗、がれきの赤は危険の旗、両方目にする光景にこころを痛めながら、被災地を車でかけ巡っています。
 「ものは考えようだ」と思う時がある。
 被災して仮設生活を始めた人は「掃除が楽でいい」と、そこに別の快適さを発見したようである。贅沢を求めない。なぜなら一時燃え盛ったブランドブームもグルメブームも、いまや収束状態にあるのと同様、一度体験すると、こんなものか、という登頂感が、次には「もういいや」という気分にさせるからでしょう。おおくを学んだが、大津波から学んだことは、まさに「用が足せればいい」だったからではないでしょうか。目的外の虚飾は不用。もっとシンプルな発想が見直されていくと思います。
 仮設住宅入居時は家電6点Set(冷蔵庫・洗濯機・電気釜・電子レンジ・ポット・エアコン)建具他、日用品一式が配給され、生活がスタートする。失業生活者の場合は無収入になり、義援金のきりくずしのため、節約のため電気のブレーカーを落とし、電気を使わず、夜はローソクで暮らしている人もいる。
 家族全員が被災はしたが、仕事をし、収入のある人、このように家族構成によっても生活格差が出てしまっている。この大災害者に対して、せめて仮設住宅に入居期限2年間は保障してほしいと思う。行政の対応の遅れに対し、NGO・NPO・企業・民間ボランティア各自に出来ることでサポートしている。
 うちわとゆかたで気分転換・鉢植えの花植え・サッカー等・スポーツ大会・朗読会・落語・音楽会・ニットカフェ・行茶会・お絵かき・炊き出し・絵馬作り・復興きゅうり・野菜作り、何が出来るか手探りしながらも、全国のボランティアが励んでいてくれる。特に心に残っているのは、復興新に祈りを託すために大分県の親子が呼びかけ、陸前高田市の高田松原のマツを、京都の伝統的な大文字焼の護摩木として使ってもらうプロジェクト「津波犠牲者の遺族が気持の整理をつける手助けをしたい」復興と鎮魂の願いで、連日まき作りに汗を流している。
 地元も動き始めている。産直ができ、新鮮な野菜の買い物、地元に残る祭りを開催することで、町を元気にしようとしている。
 無気力、無感動そして、思考停止だった津波体験も、不安と絶望の中ですが、自分たちの底力を見つけ出そうとしている。
          もうすぐ100ヶ日、6月18日になります。
               23.6.15     
合掌  吉田 律子 

活動報告10

2011年6月18日 100ケ日法要

東日本大震災の発生から100ヶ日を迎えた18日、各地の寺院で物故者の法要が執り行われました。
岩手の大槌町では合同慰霊祭に約2000人が参列し、合同供養でお一人ずつ焼香し、いまだ不明者、そした、犠牲者の冥福と、一日も早い郷土の復興を誓っていました。私が特に足を運んでいる避難所、大槌高校(240人)に今なお、行方不明者となっている家族の帰りを待つ人がいます。
三浦さん(72歳)は長女と孫二人が死亡。ひとりになった。孫二人の遺体が発見された場所に毎日、花や菓子を供え、二人とのはやい再会を祈っている。「家族の姿を探してばかりいたら3ヶ月、時間があっというまに過ぎ、18日に合同慰霊祭で何とか気持ちの区切りをつけようと考えていると。前を向こうという気持ちと、家族を失った悲しみが交差し押し寄せてくる・・・」とも。「帰り」を祈り、毎日欠かさず、供花を二人が見つかるまで続けると言っている。
もう一人60代半ばの釜石の渡辺さんは、奥さんをながされた。「車だけが買い物の店先にあった。はや3ヶ月が過ぎ、死亡届か不明者届けを提出するように連絡がきたが、心が、整理が出来ずに困っている」胸の内を話すのに6回ほどの面談の後だった。悲嘆の叫びは簡単に口に出てこないのだ。それは悲しみの深さかもしれない。「まず、一年はまちたい。それから、お別れ会でもするか・・・」と肩を落としていた。「ふと、近所にお茶をのみに行っている気がする」と・・・。
小学6年生の男の子は、自宅を流され、父母と姉、弟で非難所生活をしている。追悼の辞を読み上げた。「新しい明日に向かって、がんばろう大槌」と。
この日のために、各分野の行政、僧侶、ポランティアの影の仕事があった。盛岡の生協では喪服Set集めをし、遺族の方々に配りまにあわせた。
私たちも、この100ヶ日を厳粛に受けとめ、日本人にとって、ふしめを大切にする習慣は大切にしたい。「今日を境に前に向きたい」の気持ちを共有していきたいと思う。
この日、大船渡の長安寺付近の盛川縁に、復興サクラの苗木の植樹を地元の園児が行った。
「震災復興のシンボルの桜」として5年10年後には桜の花見が出来ればいいと祈りました。
                  23.6.18  
                     合掌   吉田 律子