現地レポート21

2011年6月25日 ない ない 何もすることがない

 限界の避難所生活のつぶやきの中に、何もすることがないという声が多い。
必要とされていない。仕事をしていないので疲れてしまう。好きでただ飯を食べているわけではない。気をつかってたまらない。働いているときは休みが欲しいと思ったのに、今はなにをしていいか分からない。起きてもすることがない。畑にでられないのが情けない。海に早く出たい。
最近「ない、ない、ない、何もすることがない」にこたえて、今回は大槌高校で(240名)避難所で、ニットカフェをオープン!!
盛岡から藤原さんにボランティアとして同行。毛糸、鍵棒を準備した。
オープンと同時に、われ先と毛糸を取り、楽しそうに手を動かした。編み物したかった、久しぶり、楽しいと夢中になっている表情はイキイキとしている。
先生に指導を受けながら、魔法の糸タワシ作りに挑戦。日常生活であれば、家事、炊事、掃除、買い物と主婦は暇なしですから、ここ数か月は手持無沙汰だったのです。本当に喜んでもらえました。
カラフルな毛糸の色も心をはずませ、私も私もと大成功!!これからいろんなものを作りたい。そして今度はお針屋さんで巾着づくりをしましょうと、次の約束が決まった。「何もすることがない」から「何かをやってみよう」に転換してほしいと思った。
「夢中になれるものが必要」「生きがいづくりの支援が大事」生きがいの場として、料理教室、ケーキ作り、手芸、書道、絵手紙等をしながら、お茶のみ場を作り、日常生活に近づいて欲しいと思っています。 
これからは仮設生活ですから、孤立しないように、自治会運営、談話室活用、共同花壇の畑仕事をするなど生きがい支援も続けたい。
男性たちは、ちょっと余裕でマージャンをしたり、浜の清掃、ガレキ作業などに、動き始めている。
その後、安渡小学校、赤浜小学校の訪問、赤浜小では「ドイツ喫茶店」のボランディアが来ており、たっぷりケーキとコーヒーをいただき、充実した時間を過ごした。ガレキの中を走り、山越えし盛岡に帰った。
大槌高校、手芸教室 7/7。 安渡小学校 ニットカフェ 7/7 予定
                  23.6.25
                    合掌   吉田 律子

現地レポート22

2011年6月26日 自然と祈りあう仕組み

 地震や津波は繰り返されてきた。これからも起きるでしょう。
しかし、その力を征服すべく「想定」して壊れないものを作っても自然は軽々とそれを超える。人間の力への過信が、森、水の循環の働きを無視、本来の防災をことごとく破壊した。自然と折り合う仕組みこそが本来の防災になるのです。
「森は海の恋人」運動の提唱者、畠山重篤氏は、家業の牡蠣養殖業で海の環境を守るには、海に注ぐ川、さらにその上流の森を守ることが大切と、広葉樹の植林活動を23年もすすめている。これも自然の循環の一つとなります。
6/26 読売新聞「大震災、喪失と向き合う」を読んで
 「この震災に宗教者として、どうかかわればいいのか・・・現地に入り、現実を前に、自らの存在の小ささ、無力感にさいなまれた」(浄土宗、僧侶)自問し続ける宗教家が多い。
6/24 盛岡タイムスには
 「臨済宗青年僧12人が義援金を募り托鉢を行った」地元の60才の男性  
  は「犠牲者への思いを私たちの代わりに供養している和尚さんの努力に 
  対し感謝も込めて心からの悔みをした」
目時哲英(僧侶、30才)は「托鉢の修行の一環でお布施を頂く行為。被災地への支援に禅宗ができることは托鉢だった」
身元不明者の遺骨の仮安置所に何度もお参りに行きました。
 衣の力は大きく、すぐ案内された。全国からの僧侶の方々もお参りしており、この度は、ガレキの中で読経する僧を多く見かけました。
 又、カトリックの方も、一体一体に祈り、讃美歌を捧げていました。宗派に関係なく、亡くなった方の命に敬意を抱き、手を合わせ念じることを大切にしています。
 大自然や災害から学んだ無常観や、日の出、夕日などの美しい自然を見て拝むという心情を深く感じました。
 現代人の我々は無数の遺体を前に戸惑っています。この人間の愚かさ、人間の底知れぬ我欲と驕りを思い知り、心底、悲嘆に暮れています。まさに慚愧に堪えぬとはこのことでしょう。
 復興には人、モノ、カネの支援だけではエネルギーが湧いてこない。人間の悲しみ、苦しみを見つめた供養が必要なのかもしれません。
                       23.6.26
                        合掌  吉田 律子

現地レポート23

2011年6月27日 命をもらった

震災から110日が過ぎたが癒えぬ悲しみを胸に、あちこちで、故人を悔みながらの地域の復興への願いと鎮魂を込めた催し物が開かれている。
大船渡市越喜来で「獅子踊り」が遠くに聞こえる波音に混ざって太鼓の音が聞こえた。力いっぱい飛び跳ねる姿に、復興に向け前進しようという決意がにじんでいる。又、ガレキになった住宅に向かい、供養の花を手向け、家族の名を呼ぶ人々の声が響いている。未来を奪った津波、引き裂かれた町。今は家庭は木っ端となって山のように積み上げられ、その変貌に言葉を失う。
がらんどうのコンクリーの枠や鉄屑となって変わり果て、津津に弄ばれてペシャンコになってしまった車は一か所に集められ、壊れたおもちゃとなって片づけられ、どこに目を向けても悲しげな姿ばかりである。
大槌町の山の手にある寺は流され、墓地は見るも無惨、墓石は四方に転がり足の踏み場のないままである。
ガレキのその向こうには、たくさんのいのちをのみこんだ海が、なにもなかったかのようにしんと静まり返り、浜風に乗ってかぼそい呼び声が「たすけて―たすけて―」と聞こえそうです。釜石からトンネルを4つ潜り抜けると大槌です。全盲の鍼灸師夫婦宅へ訪問。今の借家の前で立ち話。仮設の抽選の話。健常者、障がい者、高齢者などへ配慮がない選び方で、人として扱われていない事が残念と語る。いつ、どこの仮設に入れるかも見通しが立たないことが先行き真暗く、不安な生活になっている。藤原さんの患者さんが仮設に入った日から「うつ病」にかかっていることの相談。又、神奈川の僧侶のボランティアの話。それは、支援物資と義援金について、支援者側と活動側との不調和が出始め身動きができないと。支援したものがどの場所でどの人に届いたかを要求されても、救援ですから、どの人にでも、現地の方々の生きる力、物資になればそれでOKのはず。ボランティアとは何かの原点にもどります。
ボランティアとは「自分の目と耳で被災者に接して、対話しながら出来ることを考え行動する人」「ボランティアは宿業(本能)の問題」―本能(心)が、身が動く、そして、組織がそれをサポートする自覚的な問題である。してあげるから、させていただくとの転換がなければ成り立ちません。藤原さんの悩みをわたしが聞き続けているうちに「本気で心配し、寄り添ってもらえていることが分かっているので、安心感を持ち生きていける」と語ってくれました。うれしい!!震災前は町の方々に支えられ障がい者として生きてきたが、今は平等に被災を受け、私には鍼灸師としての仕事が残っていた。命をもらった。だからこそお世話になった方々へ恩返しをしたいと夫婦で働いている。
              23.6.27  合掌  吉田 律子

現地レポート24

2011年6月29日 ウミネコの鳴き声を被災者の悲鳴

海を横目に車を走らせると腐敗した海産物だろうか独特の生臭さが鼻を衝く。町中心部のガレキはだいぶ片づけられた。今は人影もなくウグイスと異常繁殖のウミネコの鳴き声が響く。津波が流した集跡には雑草の緑が鮮やかに広がっている。大津波の影響だろう。木に引っかかった車はそのままだ。
大槌高校の体育館で生活している方々は洗濯機が入り、5月末から使用している。しかし、収入が途絶えた被災者が悲鳴を上げている。車のガソリン代、夏の衣類、携帯電話代・・・。義援金支給は大幅に遅れ、6月28日からの支給となった。一息はついたが仮設入居のための家財道具、食費等にも出費がかさむ。仮設住宅の抽選に当たっても入居を控える人が相次いでいます。
避難所では無料だった食事の事、支援物資の中止、家賃以外は実費などの理由です。又、節電のためク―ラ―を使わず、うちわですませている。もし、熱中症になったら身もふたもない。雇用の場が出来、住民が自立生活できるまでには、まだまだ時間がかかる。
産業再生も大事だが、その間の生活支援にもっと目を向けてほしい。一家族で実働して収入ある人は将来のビジョンも又、生活面も心配ないが、子育て中で、中年の方の失業中の家族は一番大変である。
ガレキ撤去 陸と海 作業の日当は1万二千円なそうです。雇用の窓口と人数が少ないため、作業に出勤している人は恵まれている人。生活面を考え、出稼のため別居、震災のため借金苦、家の状況のため進学をあきらめる、震災のため病気に、離婚等、人の数だけ生活、考え方、悩みがあり、聞くほうも大変です。

「近代日本の発展ほど世界を驚かせたものはない。世界の文化はアジアに始まってアジアに帰る。それはアジアの高峰、日本に立ち戻らねばならない」
        アインシュタイン(1922年、来日の時の感想、89年前)

世界を驚かすくらい発達する底力がある。だから勤勉さと日本人気質を生かせば必ず共存共生できるとのエ―ル。
最低限、老夫婦二人の関係や、親族との関係、子どもの世界をよくし、次に職場、集落のコミュニティ―への気配りするのが原点で出発であり、復興の道です。震災の体験から立ち上がり、学び、誇りが持てる日本人でありたいと思います。
                    23.6.29 
                     合掌    吉田 律子 

現地レポート25

2011年7月 1日 心まで壊されてたまるか

岩手県民が待望した平泉文化の世界遺産登録が現実になった。
東北全体に元気を与えてくれる朗報を心から歓迎したい。平泉の浄土思想を中心とする価値が世界に認められました。北海道、東北では初。
その平泉町の中尊寺で「中尊寺ハス」が開花した。800年の時を超えて咲き始めた。浄土を象徴するようなピンクの花は訪れる人々の心を癒している。極楽浄土に往生した者が座る蓮台も見せ、3日間で花弁が落ちる。東日本大震災の犠牲者のすべての人の思いを初盆に合わせ供養したいとの願う浄土の花である。そして、復興への大きな希望となる。
人は生死を分ける極限状況では必死で生き延びる道を選ぶ。それが人間の常なのにあえて死地にとどまり職務にすべての魂を傾ける人が震災現場にはたくさんおられた。
自衛隊員。消防団員、警察官、役場職員が救援、支援などに命を懸け、多数の殉職者も出ている。
防潮堤の内扉閉鎖に駆け付けた大槌町消防団第2分団総勢28人は鉄則を守った。14カ所門扉閉鎖「屯所でサイレン鳴らせ」「町のみんなと避難地にすぐ行け」火の見やぐらに上り、鐘を鳴らし、住民は逃げまどい・・・
15:20頃に津波が堤防を越え、町ごと全てをのみこむ、11人が犠牲となる。
半鐘を鳴らした 越田さんの遺体は4月22日に発見された。命をかえりみず殉職した人の尊さに頭が下がります。その遺族の方々が、悲しみをこらえて生活している。子どもは、父の姿、妻は夫の姿、老母は息子の写真に手を合わせ続けている。子供の目からは、父の偉大で尊敬できる思いと、家族も助けてほしかったと複雑な心境だ。「おやじ、ありがとう」心まで壊されてたまるか、石にも噛り付いても、オヤジの分まで生きると呟いていた。「きっと芽が出る煎餅」を三陸鉄道が発売。復興を応援している。
4種の味が楽しめ、明日への希望として、きっと芽が出→花が咲き→実がなる、と、復興の立ち上がりの底力メッセ―ジである。
                   23.7.1
                   合掌  吉田 律子

現地レポート26

2011年7月2日 京都からのボランティア

今日は京都からボランティアが来る日だ!!
支援物資提供を受けている京都の畑絵画教室の生徒、直山麻衣子さん(23歳が、夜行バスを乗り継ぎ、遠野駅へ到着!!私は盛岡から遠野へ。
直山さんは一回目は、気仙と陸前高田のガレキのボランティアを体験した。若い彼女は何を見、何を感じたのでしょうか。2回目は岩手でとのことでした。
遠野の、まごころネットボランティアセンタ―の前に笑顔で合流。今日1日目は私と同行し、傾聴しながら地元の人との会話、生活の現実を体験してもらいました。釜石の小佐野、中妻仮設住宅にて6軒訪問。生活の様子、近況を聞く。支援物資の配達。
「がんばるゾウ」メッセ―ジを送った小佐野小学校は土曜日だったので休校、展示ホ―ドは見られなかった。昼食の時「京都から来ました」と言ってみようということにしました。午後は大槌町の避難所、仮設訪問です。
稲穂会館は100人生活している。丁度、盛岡に避難し、その後、東見前にアパ―トを借りたが国道沿いのため、10㎏以上も痩せ困っているとの相談!!
市役所に連絡することを約束した。その間に、直山さんは積極的に話しかけ、避難所の方の話を聞いていた。又、初めて避難所の実態を知り、驚きと、悲しみ、そして、今までの思いと現実の違いを感じていた。次に、在宅生活している鍼灸師の藤原さん訪問、仮設住宅抽選のことで行政に配慮がない。障がいをもった人への対応がない、残念であると。
遠方過ぎて生活も仕事もできないため、仮設を取りやめ、借家に8/1に入居することに決めた。「地震は憎まぬが、人に絶望する」と。
直山さんが京都からのボランティアと知ると話は一挙に盛り上がった。藤原さんの新婚旅行が京都で、その後、何度も旅行しているとのこと。直山さんは京都弁で話し、思い出話にタイムスリップ。帰りに直山さんが、京都土産だと団扇を二本ブレゼント大喜び。
次に大槌高校訪問。前回の編み物支援での毛糸と裁縫セットを持って行ったが、針がなく管理が出来ないと返されてしまった。このやり取りを見ていた彼女は目を丸くして驚いていた。残念ですが、物資のことで人間関係がギスギスしています。大徳院(40名)安渡小学校(330名)を訪問し、遠野へと向かった。
前回はガレキ撤去作業なので人と話さなかった。津波の町や家屋の残骸に関わった。今度は、被災者の方々との関わり、生の声を聞くことが出来て貴重な体験をしたと感想を話してくれました。きっと彼女の人生の中で大事な体験をし、この事実が心の深さになればと祈ります。明日一日ボランティアをし、京
都へ帰るとのこと。遠くから来ていただき、ありがとうございました。又、会いましょう。

23.7.2
合掌 吉田 律子

現地レポート27

2011年7月7日 今日は七夕

今日は七夕です。各地で七夕行事が催されました。大船渡市ではガレキが撤去された跡地に七夕飾りがお目見え「願いがかないますように」「元気になりますように」と思いを込めた短冊を園児が竹に結びつけた。又、釜石保育園では七夕会で歌や遊戯を披露。「自衛隊になりたい」「泳げるようになりたい」と。宮古病院では患者と合唱、心一つに七夕コンサ―トが開かれた。「北国の春」では温かいハ―モ二―に包まれた。
震災の年ゆえに、住民は生きていく幸せと、古里の再生への願いを短冊に託した一日だったのです。手芸教室と編み物教室のため講師の藤原昌子さんと大槌町へ。スケジュ―ル通りにいかず、先に赤浜小学校(103名)に支援物資タオル等を届けた。日陰の下で浜の男衆は休んでいた。海の中のガレキ撤去の仕事を始めていること、そして、仮設住宅に入居するなど話してくれた。
船に乗りたい!!仕事がしたい!!気力一杯だ!!大槌高校(240名)へ手芸教室。今回は手縫いで巾着袋とティッシュ入れ袋作り。先生が事前に裁断準備をしてくれてたすかりました。予告してありましたので会場にゴザを敷き、さっそく作業に入りました。20名ほど、モクモクと、集中してお針をしている姿は楽しそうで心が和む。普段であれば趣味で針を持ち楽しむ人が多いのですが、材料が用意できなかったので今日が初めての事でした。
話しながら、手作りの楽しさを味わっていた。早い人は一人で4個も巾着を作った方もいました。なにより自分の作ったものがすぐに使える喜びは何とも言えないものです。先生も汗をかきかき大奮闘。最後は皆様と集合写真を撮りました。次に、安渡小学校(330名)の体育館で一回目の編み物教室、タワシ作り。20名ほどの方が集まり編み物を楽しみました。仮設に入ったら自分で使うため、友人にプレゼントのためとせっせと手を動かした。
小学3年生の男の子と女の子が編みたいと先生に教えてもらい、すぐ覚えて夢中で編んでいた。大人だけと思っていたのが以外にも、子どもも楽しめると大発見!!
この避難所の中に仮の保育園が併設されており、園児たちがキラキラ星を歌い、七夕会をしていた。逆発想で避難所生活することにより、老若男女が同居し、大家族を味わっているのかもしれません。
保育園に子ども下着、絵本おやつを届け、編み物教室に参加した人たちと名残惜しく帰ってきました。
七夕への願いは再生、復興と心の解放、そして、絆の深さと長さであれと念じます。
23.7.7 合掌 吉田 律子

現地レポート28

2011年7月12日 一緒に釜の飯を食う

大震災以来、国内外からの支援ボランティアの方々の活動にはいつもながら頭が下がる。遠野経由被災地なので、まごころネットのある社協の前を通ると、各県ナンバ―の車がずらりと並んでいる。若者たちは夜行バスでくる方々も多い。何か自分に出来る事を探して関わっているのでしょう。実際ガレキの現場での作業は炎天下で過酷すぎます。しかし、マスクをし、長袖、長靴姿で、泤かき、ガレキの仕事、黙して大地と戦っているように見えます。
遠野から釜石の高速道路を下りるとすぐ釜石高校の避難所がある。学校の敷地内にあり、体育館以外は高校生が今まで通りの学校生活をしている。入り口には大きな冷蔵庫と扇風機があったが、ムンムン暑い中での昼食(パン、ソーセージ、ジュース)時間だった。仮設に7割は引っ越したということでガランとしていた。一時200人余りの方がいましたが、今は30人余りまで減り、残された人たちは「せっかく家族のように話せるようになったのに」と寂しさが募るとのことでした。
「仮設住宅に移る人を見送るたびに涙が出て・・」
箱崎町の方が多く、当時の様子、ヘリコプタ―で釜石へ運ばれ、3ヶ所目の避難所がここでした。佐々木シゲ子さんは津波にのみこまれるわが家を呆然と眺めていた。海が怖く、箱崎にはもう帰る気がしないという。話は一転して、湊さんが「ここに管総理大臣が、大丈夫ですか」ときました。「大丈夫じゃない、どうにかしてくれ」と話した。あれから二ヶ月も過ぎたのに先が見えない不安で一杯だ。「辻本清美も来た」「大変でしたネ」と。「避難所に泊まってみろ」と言った。「仕事がないのが一番つらい」思い話を聞き、次に大槌町の小鎚のわらび打直集会所で山影夫婦と話す。
この震災で一番の宝は「人の情、やさしさでした」「親戚以上のご縁が出来ました」「一緒に鍋の飯を食う」意味が分かりましたと。70代の夫婦は二日後に仮設に引っ越しすることに「新婚気分に切り替えて暮らすしかないネ」と照れ笑いをしていました。震災復興の花「ひまわり」をいち早く植えた石井さん訪問。1000本のうち今日一本だけ咲いたから見に行こうと誘われ車で走った。背丈170㎝ぐらいになり、一本だけ凛として咲いていた。感動した。
来年はこの花の種を全国の方々にプレゼントして、ひまわり国にしたいと夢を語ってくれた。ひまわりおじさんも被災に遭い、今、一人暮らしである。又、会いに来ます。仮設に入居した澤舘夫妻からの依頼訪問です。ようやく部屋の中が整理されていたが、思ったより狭かった。まず日常生活に戻ることが大事。心のゆとりが出来たせいか、幸せ夫婦に見えうれしかった。夕飯にイカのポッ
ポ煮をご馳走になり、おいしかったが、噛り付いたら歯が欠けてしまった。泊まる予定を変更一路盛岡へ。明日は歯の治療・・・。

23.7.12 合掌 吉田 律子

現地レポート29

2011年7月17日 大槌 炊き出し 冷やし中華

店の前に出て待っているからからと4時に約束した。盛岡市鉈屋町の伊藤製麺所の家族は3.11後すぐ「自分たちに何が出来るかを考えた。
 娘の桂子さんの「何かボランテイィアをしたい」の意欲がきっかけで「うちの麺を食べてもらいたい」の気持ちで、ご主人は大槌町へ中華麺500食(タレ付)を、娘さんは石巻へ500食をそれぞれ運転し届けた。この体験者の伊藤さんが、私達サンガ岩手の第3回炊き出しは冷風麺と決めていたので「是非、うちの麺で作り、食べて欲しい」と支援物資としていただきました。
 待ち合わせはその伊藤さんだったのです。「ボランティアはひっそりと、めだつことなく、人として当たり前のことをやっていきましょう」と言われ感動しました。
 ボランティアの体験者の方と出会い「明日は皆さんにおいしい冷風麺を作って食べていただきます」。帰ってから報告に来ますと、挨拶し帰りました。
 麺の箱には「大槌へ」の名札が貼ってあった。中華麺50玉、タレ50ケ洗剤3本。7/17日(日)朝6:30、盛岡炊き出し隊出発!!天気も良く遠野、釜石、大槌へ。避難所に行く前に大槌の自衛隊屯所基地とお風呂、物資倉庫等を案内し、9:30に第3回炊き出し隊の大槌大徳院に到着しました。
 今日は盛岡有縁の方々からの支援物資、タオル、食器、ポット、衣類、ジュースを届けました。又、善慶寺様からの絵手紙も届けました。さっそく、勝手知ったる、ということで冷風麺の具作りの作業に入りました。きゅうり、ハム、くらげ、トマト、紅ショウガ、錦糸卵、一番大変だったのが、麺を茹でる事でした。33°の日に50人分の麺を茹で上げるのは、汗だらけの苦戦でした。
 お皿に花のように盛り付けし、例の新聞紙のテーブルにどんどん運びました。
 「久しぶりだ、おいしい、おいしい!!」と大変喜ばれてとてもうれしかったです。若い人や、高校生はお替りしてくれました。又、スイカも2ケ持っていき、食後に皆様とおいしくたべました。私たちも冷風麺を食べましたが、最高の美味しさでした。食後に今の状況や、仮設の話、津波の時の話しを聞きました。伊藤製麺所さんへのお礼として、メッセージを書いてもらいました。
 「二杯も食べた、おいしかったです」「また食べたい」「本当にうれしい感謝」「元気をもらいました」「タレの味が良かった」「おいしくて、うれしいです」ももか(7才)はるか(5才)ちゃんはイラスト入りでした。
 第4回目の炊き出しは仮設入居のためできないことになりました。皆さんにおいしいものを食べていただき、元気になってもらいたいとの一心での炊き出し隊でした。私たちもこのご縁で貴重な体験が出来うれしいです。ありがとうございました。今後は別な形で支援を続けたいと思っています。
      天沼、佐藤、真淵、小林、吉田    23.7.17   合掌

現地レポート30

2011年7月21日 復興支援ウエディング

 震災で両親のどちらかが死亡、行方不明の岩手県震災遺児は328人です。
 父子、母子家庭のいずれにしても課題が多く、支援、相談の対応が重要です。悲しい話も事実たくさんありますが、幸せな話もありました。先日、釜石にて復興支援ウエディング10組の門出を市民が祝福するイベントがありました。
 7月3日震災を乗り越えて永遠の愛を誓う結婚式を行い、桂由美会長が司式者でカップルの婚姻を高らかに宣言!!新郎新婦にメッセージ「苦難の時こそ、絆は固く、つらいことも喜びも分かち合う家庭生活を送り、未来を目指してほしい」と。カップルからの誓いの言葉は「離れていた分、大切な存在と確認した」「亡くした仲間たちの分まで幸せに」「ともに成長し、支え合う」等、新たなページで幸せ気分になりますね。桂会長は、支える心が生んだ結婚式を喜んでいました。ドレス、指輪、などの婚礼用品すべて無料。盛岡でも30日開催予定です。
 3.11から死亡者、不明者、火葬、100ヶ日供養の日が続いていた。被災地での結婚式むずかしいと思っていた事が出来た。出席者は深い絆で結ばれた二人が紡ぐ未来に期待を託し、地域再興への思いを一つにしたと話してくれました。
 その後私の目には、妊婦の方や、赤ちゃんに特に目が行くようになった。仮設にも今、2ヶ月の赤ちゃん、そして9月が予定日の方がいる。悲しい別れもあったが、苦難を乗り越え、いのちは確実につながっていくのです。
 7月21日釜石高校避難所訪問。一時300人ほどの方がいましたが、今日は14名だけと、ガランとした体育館になっている。K(70才)さんと話す。4か月過ぎても仮設の行先も決まっていない。それは行政の怠慢だ。震災に対して行政のやり方は後進国と同じだ。要望、意見を話しても空回りで前進がない等、1時間半ほど聞いた。不満や、不安、いらだちの頂点が今日だったのかもしれない。ただ聞く、ひたすら聞く、そして寄り添う。風呂に行くからとKさんは出かけて行った。ちょっと重くなったが、釜石のやる気に感動している私は、復興ポスターを見て大丈夫だと実感しました。
 「諦めるなとホタテが言う」「大笑いできるその日まで」「心まで壊されてたまるか」「前よりいい町にしてやる」「ため息をつかないと決めた」「埃も泥も思い出になる」「かわりに気が付いた宝も」
 次に小佐野小学校訪問。六年生(56名)年一回の親子レクリェーションが始まっていた。ちょうど昼食時でソーセージ、ヤキソバ、サンドイッチなど。タオルで頭をまいた浜仕事の父親が多数参加していて、ちょっと心が温まった。親子でこの震災を乗り越えようと結束している姿にみえました。
             23.7.21   合掌   吉田 律子